胃癌 闘病ブログ

がん告知からの記録 ステージⅢA  胃80%切除 右腕麻痺

 17年11月に胃と胆嚢とリンパ節切除、
補助的抗癌剤としてSOX治療中に脳卒中、
もやもや病の診断を受ける。

胃癌の再発、転移に怯えながら、
脳卒中 の再発予防に気お配り、
右手麻痺のリハビリ に励む、
今からの人生と、今までの、思い出

手術後13日、うどんを食べる、

胃切除後初めてのうどん、果たして赤ちゃんサイズの胃袋で、大丈夫か?柔らかく煮てもらい、よく噛んで胃袋に流し込む、胃袋から腸へ送られて行くのを、イメージしながらゆっくり食べる、大丈夫ちゃんと食べられた。

これからも始めての、挑戦が増えるだろう、

うどんが大丈夫なら、蕎麦もたべられる?

今年も年越し蕎麦を、打てるだろうか、見た目よりかなり腹に力を入れてやらないと、コシのある喉越しの良い長い蕎麦にならない、

基本的に長い蕎麦がうてるまで、かなりの練習が必要である、プロの方なら修行を積んだ職人さんが力と技で作るもので、よく噛んでたべるなどと言うのは、無粋で、職人さんに失礼というものだ。


しかし自分で打った蕎麦なら、とう食べようと、勝手だろう、早く体力を戻したい。

開腹手術体験記(詳細)、手術当日~HCU

 これから手術を受けられる方のために、手術当日の私の記憶を書いておこう、


前日からの下剤のためそんなによく眠れた訳だわないが、好きり目が覚めている、
8時に家族が病室に来る、当人はいたって、元気もちろん状態が悪いと手術は延期になる、気にしていた、親知らずの熱も抗生剤で抑えられた、朝の検温正常
 気がかりは、医局でインフルエンザが一人出て、主治医も感染の可能性が0でない、
主治医いわく、「わしが熱を出したら延期やでー」、さいわい感染はなかったようだ、
せんせいの体調も良し、
 前日までの説明道理、血栓防止のストッキングをはいて、病棟の診察室で鼻からのチューブを入れる、これは中々大変しかし、胃カメラに比べれば楽勝、時間は8時45分、
手術室には自分で歩いて向かう、
 思ったより、狭いベットに自分でよじ登り、衣服は全部脱がされる、背中から痛み止めのチューブを入れられる、局所麻酔をしてからなので楽勝、再び仰向けになり、左腕に点滴のライン、時間は9時予定取り、顔を横向きに酸素マスクを向けられ大きく息を吸って、はい大きく息を、、、、、、、、この段で緊張してきた、そして、次の瞬間、、



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「終わりましたよ、○○さん時間は午後2時です」
意識は戻る、と言うより意識を無くした記憶がない、事前に説明を受けていないと、
かなり混乱するだろう、頭では解っているのに、緊張のつづきで型の力が抜けない、
麻酔のおかげで、痛みはさほどではない、両脇にアイスノン、頭にもアイスノン、タオルケットを、かけられて、胸には心電図、指~血中酸素、鼻~ドレーン、腹~ドレーン、おしっこのドレーン、酸素マスク、血圧計巻いたまま、足のマッサージ機、主治医が出てきて、「目が覚めたか」と聞いてくる、起きて居るつもりで時間感覚がない、
 
「30分経ちました」教えてもらわないとピンとこない、からだは熱ほ持ってかなりきつい、起きてはいるにだけれど、うとうとしているおかしな感覚がつづく、「2時間経ちました」やはり教えてもらわないと、時間の感覚がまだない、事前に混乱を起こす人もいると、聞いていたが、意味がわかる、不思議事に痰に悩まされていない、喫煙が長いのに


 しばらくすると、痛みの感覚が変わってくる、背中に入っている痛み止めは、時間当たり何ミリと一定の量が入っているが、痛くなった時自分で追加できるボタンがある、
入院は絵に説明を受けて居るので、自分でカチンとボタンを押す、これがないじだいは、
点滴か座薬で我慢していたのだろうか。


 HCUでは、目の離せない患者ばかりなので、機械の音がうるさく、それでなくても、
術後の熱と痛み止めがものすごく効いていても、やはり痛い、うとうとしたり活きて居たり、ボタンは2時間~2時間半に一度、何度使ってもよいが時間を報告するように、言われている、一度押すと、30分は使えない仕組みになっているそうだ、節約しとけばよかったと思うのは、もう少し先の話、


 時間の感覚が戻ってくると、とてつもなく長い時間で、ようやく次の日の朝ナースも何度も入れ替わり、あさは体を拭いてもらう、え、そんなとこまで、と、きれいにしてもらう、ここで始めて自分がおしめをしていることに気付く、そういえば、術前に業者と契約したことを思い出す。


 移動式のレントゲン、背中に板を敷いて腹部レントゲンを撮る、採血2本、


 朝の回診で鼻のチューブを抜いてもらえる、後から考えると、かなり違和感の有るチューブなのだが、それどころではなっかった、ここまで何回検温したか、血圧計は自動的に動いている、点滴も早いペースで体に入る、輸血の同意書も年の為書いてあるが、必要なかったらしく、失った血液の分も点滴で補う。


 かなりきつい話だが、ベットから起きる練習も、術後1日目に始まる、まず体を起こし、足を床に下ろす、ここでブラックアウトになる場合もあるので、慎重にそれから気合いをいれて立ち上がる、6から7歩く、これも術前に説明がある、


 午後から病棟から迎えが来て、病棟の観察室へ移動


当事者にとっては、手術は一瞬さえない、おそらく麻酔の前に何か言いかけたら覚めた時に、続きをしゃべるだろう、DVDの一時停止ボタンを2ど押した感じです、実際は4時間の大施術なのに、

手術後11日目、自宅養生、

 ここ2日のあいだ、退院を、急ぎすぎたのか?、などと考えながらすごしたが、
一度目の胃透視に、術後11日退院伝えられていたのだから、標準の退院予定日になりました。


 早めに退院出来たのも、手術をして頂いた主治医スタッフの皆さま、リハビリ指導、栄養指導、数え切れない人たちに命をつないで頂いた、
 手術をすれば助かる、などと言える病気ではないのですが、相当な期間生きて居られそうだと、思っています。
7日目位から、病棟内の散歩と言って、その実階段室で、歩行訓練をしていました。
この階段、ヘリポートから地下室(霊安室)まで、7階建ての建物で、9階分楽しめる、
スペシャルコース、午前午後各1往復、病み上がりには上出来だらう、食事も旨く、そして上手く、逆流もなく、ダンピングもない、
 最後の血液検査も良好、胃透視の経過もよく、退院許可は当然、のことだろう。


自宅でもゆっくり朝食をとりしばらく、体を起したまま休み、少し体を動かす、
おやつ、ほとんど幼児向けで、衛星ボーロー等、昼食は少し多め、45分位かけて、食べる。30分以上体を起していなければ不安がある、自分が赤ん坊の時は、げっぷが出るまで、誰かが抱っこしけけくれた、(多分、
 今は食後すぐの昼寝ができなくて、と言うのは贅沢だろうか、その後少し横になる。
2時ごろから行動開始4時30分ごろまで、出かけていたりする。
食事内容も80%レトルト、魚だけは、旬の白身魚を似てもらう、魚のおいしい国に生まれて本当に良かった後1週間くらすれば、白身魚のお刺身を解禁にしよう。
今の時期から鱈、赤鯛、うまずら白身魚もおいしい季節だ、





おさかな天国